2024年10月24日「感覚」って意識しないと、当たり前になってしまうかな? | みんなのお家

子育てブログ

2024.10.24更新子育てブログ
2024年10月24日「感覚」って意識しないと、当たり前になってしまうかな?

 暑い暑い夏でした。子どもの感覚は正直なもので、いつまでも水遊びが続いていました。昨年までは、1年中ひまわり保育園とみんなのお家の行き来や、富士見公園のグラウンドを走りまわっていたので、その頃と比べると今年の子どもたちは本当に歩いて居ないと感じます。ようやく散歩が出来る様な陽気になり、毎日のように散歩をしています。手を繋ぐ相手に拘るし、道草したい子、サッサと走り出したい子、四方八方勝手気ままな子ども相手ですから、たった6~7人の子どもでも大変です。2人ではどうにもならなくなり、「カートを持って来て~」とSOSした事もありました。そんな日々を積み重ねてひと月くらい経つでしょうか。少しずつ車が来たら壁になったり、手を放して走って良い所、ここは手を繋いで歩く道、寄り道ポイントも分かって楽しみになってきました。「お散歩」と言う事も分かり、雨が降って居ても「散歩行くよ」と言う声に、合羽を着て待って居るようになりました。施設から一歩外に出たら、危険だらけです。でもやっぱり体を使って、実体験を積まなければ、「危ないよ」と言う注意も分からないのだと思います。プールあそびではしゃいで遊んだ力は体力になって居て、次は歩く、走ると言う巧みな体の使い方を習得していく様子を垣間見て、本当に嬉しくなります。危険いっぱいな街の中を、神経をピリピリ張り巡らせながらも、子どもに悟られない様に、ワクワク楽しい散歩を作り出す事に知恵を絞るのもまた保育です。道行く人たちに、「こんにちわ」の挨拶も忘れません。子どもが安心して歩ける、優しい町であって欲しいと願います。

 感覚過敏と言って、障がいの特徴的体質に上げられる事があります。五感の刺激に過剰に反応してしまい、日常生活の中でも辛くなることも沢山あります。感覚とはデリケートで、生活や、突き詰めれば命を守る本能にも繋がっているように感じます。私は保育の中で、この感覚を大事にしたいと考えて居ます。視覚:聴覚:嗅覚:味覚:触覚の五感の中で、あまり意識されませんが今回触覚に拘ってみます。私たちは皮膚や、口の中の舌などで、目で見たり、耳で聞いたりする以外の情報を取り込んでいます。暑い・寒いを感じる皮膚。口に物を入れても食べて良い物、食べてはダメな物を感じる舌。柔らかい、硬い、くっつく様なもの、飛びそうなものに気付くのも、手で触ったり、足で踏みしめたりして知る事になります。あらゆるものはその材質によって触り心地が違う事を知り、扱い方を学びます。それは新しいものを作り出す時の入口にもなります。スベスベ:ヌルヌル:ザラザラ:ふわふわ・コチコチ:ツルツル:サラサラ等、様々な機会に体験をさせて感覚として身に着けて欲しいと願います。最近では、裸足で踏みしめたサツマイモ堀の畑の土、そのサツマイモを使ったお団子づくりの白玉粉・豆腐の感触、生活の中でいっぱい感覚刺激を受けました。日常の中で感覚を意識する事が重要です。
コロナ禍で、手洗いと、消毒、手と手も触れることを禁じられた数年は、大きなハンデになると思います。子どもたちは手でいろいろな物を触ります。多分大人が困る事が多いので、悪戯として片づけられてしまう。危険なことも沢山ありますから、好きにして良いとは言えません。でもやはり子どもたちには、五感をフル回転させて生活する環境を意識して創っていくのが私たちの役割だと思って居ます。

 余談ですが、大人は見ただけで大体の事が想像できてしまいます。でもその目は結構概念にとらわれている事が多いものです。アート制作でよくやるのですが、目をつぶり手で対象になるものを触ってみるのです。視覚を遮る事で、その本質が見える事が有るのです。丸くて、ツルツルだと思って居たリンゴが、結構ざらつき、いびつだったりしていることに気付きます。そうして感じて描いたリンゴは、ただ見て描いたリンゴとはまるで違う出来栄えになるから不思議です。大人にもそんな体験をさせたいな~感性を磨く豊かな遊びに拘りたいです。

このページのトップへ